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 2018年1月〜3月の間に放送され、話題となったTVアニメ『宇宙よりも遠い場所』(よりもい)について語ります。

個人的にも大好きな作品でして、いまだに4月放送のアニメや他のやるべきことを放置して「よりもい」を何度も観直しているほどなんですが…

いいかげん僕もここから1歩踏み出したいので、数週間経っても完成していないこの感想記事をそろそろ書き終えなきゃなりません。

 

書きたいことはたくさんあるんですが、今回はこの作品が1クールを通して描いてきた「コミュニティのあり方」、そして「個人とコミュニティのあるべき関係」に注目して語っていきます。

 



◼️コミュニティの形成

第1話から南極へ向けて出発するまでの回で描かれているのは、南極へ行く少女たち4人のコミュニティ形成です。特に最初の報瀬とキマリの出会いが重要でした。
 
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報瀬は学校で孤立しようとも南極に行くという強い意志を持ち続けていたが、南極は一人で行けるような場所ではなく、孤立しているがゆえに目標を達成できずにいた。

一方、それまで毎日をなんとなく過ごしてきたキマリは「何かしなきゃ」とは思っていても、何をすべきかわからず、今の場所からなかなか1歩踏み出せずにいた。

 

報瀬は自分の目標に一緒に取り組んでくれる仲間を、キマリは自分がここから1歩踏み出すきっかけをくれる仲間を必要としていたわけですね。そんな2人が出会って物語がスタートし、後に日向や結月が加わって南極観測隊というコミュニティが形成されます。

 

 

◼️牢獄化するコミュニティ

その過程のなかに、あのめぐっちゃんの暴露回(第5話)を入れてきたのはすごく良かったです。

幼馴染かつ親友であるはずのめぐっちゃんが、キマリたちの悪い噂を流したりして南極行きを妨害していた張本人であることを自ら告白し、キマリに絶交を告げるという、なかなかショッキングな回でしたね。

この回では、所属するメンバーたちを自らの内部に閉じ込めて外に出すまいとする、コミュニティの牢獄のような負の側面が描かれていました。

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コミュニティ内で誰かが他のメンバーと違う行動をとると、他のメンバーが「自分の地位が脅かされる」と感じて、その人を必要以上に叩いたり邪魔をしたりする、といったようなことが起こります。

直接的な行動を取らない場合でも、陰でその人の失敗を望み、実際に失敗したさまを見ると「ざまあみろ」と喜んだりする。ちなみに、この際に生じる喜びの感情を「シャーデンフロイデ」といいます。

(このシャーデンフロイデ的「ざまあみろ」の発生を抑え込んだ報瀬の「ざまあみろ」は素晴らしかったんですが、それについては以前別の記事↓に書きました。)
 
こういった行動・心理は、自分の居場所であるコミュニティを守るための人間の本能です。そしてこれはキマリとめぐっちゃんのように、メンバー同士の関係が深いコミュニティでより生じやすいんです。

 
お互い相手に頼り/頼られることで自分の居場所を保つという関係が長く続いたために、キマリもめぐっちゃんも二人だけの小さなコミュニティから出られなくなっていた。

特にめぐっちゃんは、おそらくキマリ以外に自分の居場所と思えるようなコミュニティを持っていなかったと思われます。

 
そんななかで、キマリが南極観測隊という新しいコミュニティを見つけ、自分と2人だけのコミュニティから1歩踏み出そうとしたため、「私を置いていかないで!」と言わんばかりに、キマリを束縛しようとしてしまったんですね。

 

このような、お互いを束縛するような関係を改善するにはどうするべきか。

その答えはこれ以降の回で描かれていくわけですが、めぐっちゃんは自分で答えにたどり着いており、彼女なりに前へ踏み出そうとしている姿勢がすでにみえました。

それによって、このショッキングな展開でも後味の悪さをまったく感じさせないものとなっていて、個人的にも大好きな回です。
 

 

◼️コミュニティを構成する仲間(友達)とは

コミュニティを形成したメンバー同士は、ともに活動していくなかで関係を深めていき、お互いを「仲間」だとか「友達」というふうに認識していきます。

 
友達とは何か。どこからが友達なのか。そこに明確な定義はなくて、ただ「なんとなく」そう認識していくわけですが、このあいまいな関係を理解するのに苦労していたのが結月です。


それまで芸能活動が忙しく、学校のクラスメイトと遊ぶ機会がなかった彼女には、友達とはどういう関係なのか、いまいちピンとこないんですね。

それで、友達だという分かりやすい証明がほしくて、他の3人に誓約書まで書かせようとまでするわけです。

 

しかし、その後3人がサプライズで自分の誕生日を祝ってくれたことに感動し、「なんとなく」というものがわかってきます。キマリとSNSで「ね」の1文字だけのやりとりができるようになったことが、その表れです。

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この1文字だけのやりとりは、作家ヴィクトル・ユーゴーの世界一短い手紙のやりとりを連想させます。

ユーゴーは「レ・ミゼラブル」を出版した際、本の売れ行きが心配で「?」とだけ書いた手紙を出版社に出しました。

それに対して出版社は「売れゆき好調」という意味で「!」とだけ書いた返事を出した、と。それだけ両者の間に深い信頼関係が築かれていたということです。

 

結月も誓約書のようなきちんとした文章でなくとも、キマリとたった1文字で「なんとなく」コミュニケーションが成立するような関係を築いた。つまり、ようやく自分もこのコミュニティの一員なんだと信じられるようになったのです。

 

 

◼️過去のコミュニティとの決別

この作品のすごいところは、自分たちで作り上げた新しいコミュニティの素晴らしさだけでなく、自分の居場所として機能しなくなった古いコミュニティとの決別を描いているところです。

 
例えば、日向の「友達」としてメッセージを伝えに来た陸上部員たちは、日向にとってはもう友達とは呼べない存在だったものの、日向は彼女たちとの関係をなかなか断ち切れずにいました。

SNSのフォローを解除できずにいるシーンが象徴的でしたね。南極に行くと決めた後、潔くクラスメイトのフォローを解除した結月とは対照的です。

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結月は自分の居場所ではないと判断したコミュニティを切り捨てることはできても、新たなコミュニティに入って友達という関係を築くことに慣れていない。

日向はそれと逆で、自分からキマリや報瀬と接触してすぐに打ち解けたように、新たなコミュニティに入っていくことは得意でも、自分の居場所ではなくなったコミュニティを切ることができないでいたわけです。

 
報瀬が真に母親の死を受け入れる、という作品最大の山場も、過去のコミュニティとの決別を描いています。

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「お母さんがいなくなってからも、お母さんの帰りを待っていた頃の生活と何も変わってない」と語っているように、報瀬は母親の死を完全には乗り越えられておらず、母子という既に失われたコミュニティとの決別が彼女にとっての大きな課題でした。


そして日向や報瀬がこの大きな課題をクリアできたのは、彼女たちが旅のなかで築いてきた新しいコミュニティのメンバー=友達の助けがあったからです。

 


 ◼️複数のコミュニティを持つこと

南極観測を終えた4人は解散し、それぞれの日常へと戻っていきます。

彼女たちは、今回の旅を通してたしかに絆を深め合いましたが、彼女たちの居場所は、この南極観測隊という繋がりだけではありません。

家族やバイト・仕事の仲間など、他にも自分の居場所である複数のコミュニティを彼女たちはもっている。

そのため1つのコミュニティに依存することなく、一人ひとりが自立しており、離れたとしてもお互いに仲間だと信じられる関係になっている。

 

「ここで別れよう。」

「一緒にいられなくても、一緒にいられる。だってもう私たちは私たちだもん。」

 
というキマリの言葉はそういう意味です。

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キマリとめぐっちゃんの関係も同じように変わりました。

いつも一緒にいたがゆえ依存的になっていた二人が、北極と南極という徹底的に離れたところへ歩みだし、それぞれが自立を果たしたことで、お互いを真に尊重し合える関係になったわけです。

 

めぐっちゃんについては、ネットの反応を見てみても、視聴者からすごい共感を集めているキャラなんですよね。 

役割的には下手したらヘイトを集めまくって、作品自体の人気を下げちゃうリスクもあったと思うんですけど、それをこれだけ共感できるキャラクターとして描けたことは、この作品の大きな成果でしょう。

個人的にも、めぐっちゃんの北極行きというオチは素晴らしいと思います。

 

 

◼️まとめ

コミュニティの形成から、メンバー同士の関係の深まり、その過程で生じ得る束縛の問題、過去のコミュニティとの決別、解散後のそれぞれ別のコミュニティへの帰還…。

このような、コミュニティと個人の関係のあり方について、重要なテーマをいくつも盛り込みながら、1クールという枠内に見事にまとめ上げられていたと思います。
 
 
特に、コミュニティに依存的であるがゆえに他のメンバーを束縛してしまう問題や、機能不全に陥ったコミュニティとの決別という、本作品にとって避けては通れないが下手に扱えないテーマを、うまく料理していました。



そして、

「1つのコミュニティがどんなに居心地が良くても、それに依存するのではなく、自分の居場所となるコミュニティを複数持つこと。

それこそが自立につながり、『一緒にいられなくても、一緒にいられる』良い関係を築くことができる。」

という、おそらく現代において最も有効な個人とコミュニティの関係を、こんなにも引き込まれるドラマと演出でみせてくれたこの「よりもい」という作品は、間違いなく傑作といえます。





 ◼️余談:「擬似家族の象徴」としてのペンギン

さいごに、作中に登場したペンギンが個人的に気になったので、この作品におけるペンギンの意味について考えてみたいと思います。
 

アニメのペンギンといえば、2011年に放送された幾原邦彦監督の『廻るピングドラム』に登場した3羽のペンギンを思い出します。

昔ニコ生の番組で批評家・石岡良治氏が語っていた内容によれば、「ピンドラ」におけるペンギンというのは、擬似家族を象徴するモチーフとのこと。

擬似家族とは、血の繋がった親や兄弟(=生殖家族)ではないけれども、実の家族のような関係を築いているコミュニティをいいます。


極寒の地に住むペンギンは、寒さをしのぐため大勢が1箇所に集まって互いに温め合う習性があって、ペンギンが擬似家族を表すモチーフとして使われるのは、おそらくこの習性のためなんじゃないかな?と思っています。


「よりもい」における少女4人を含む南極観測隊員たちも、実の家族にも劣らない関係を築いた擬似家族といえるでしょう。

特に、かけがえのない友達が出来たことで、最終的に実の母親を失った事実を受け入れることができた報瀬は、「生殖家族から擬似家族へ」という「ピンドラ」で描かれた大きなテーマを背負ったキャラクターでした。

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報瀬が大のペンギン好きで、最終話でもペンギンに囲まれて嬉しそうにしていたのには、そのような意味があったのだ!と考えると面白いです。